徳島視整体研究所

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「色覚検査の攻略本」「本当は効かない色弱治療」はなぜ存在したのか 進学・就職制限を受けてきた「色弱」の歴史とこれから

11/30(金) 11:00配信

 カラフルな小さい丸で、数字が描かれた絵を見たことはありませんか? これは色覚検査に広く用いられている「石原色覚検査表」の図。学校での色覚検査は2002年から任意化されており、“この図を全く見たことがない若者”も少なからずいるのではないでしょうか。

【再現画像】色弱のタイプによる見え方の違い

 人間が色を感じるのには、目の網膜にある「錐体」が関わっています。この視細胞は「L」「M」「S」と3種類あるのですが、各錐体の数やはたらきには個人差があり、日本人男性の約5%、女性の約0.2%は、識別しにくい色がある「色弱」だとされています。

 かつて日本には色弱者に対する進学・就職制限が厳しい時代がありましたが、現在では「色弱者の多くが、支障なく日常生活を送っている」といわれています。その一方で、学校での検査任意化に伴い「進学・就職するまで色弱であることに気付かない若者が現れている」と問題視する報道も見られ、状況は複雑です。

 色弱者を取り巻く状況は一体、どうなっているのか。カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)副理事長・伊賀公一氏に話を伺いました。

色弱の“都市伝説”

―― まず「色弱者には、どのように世界が見えているのか」というのは、そうでない人には理解しにくいところがあると思います。個人的に「僕は赤色が見えないから、焼き肉が苦手だ(友人談)」という話を聞いたことはありますが……

 伊賀氏(以下略):色弱に関するエピソードの中には、“都市伝説化”されているものがあると思っています。

 私自身も色弱ですが、機構の人間などが「焼き肉が苦手」「緑色の猫がいる」という話を書いており、それ以降、類似した話をよく聞くようになりました。意識し過ぎかもしれませんが、私たちの文章が影響していないかと思ったりします。

―― 「誰かの話を読んだり聞いたりして、自分にも似た経験があることに気付く人が現れた」という感じでしょうか

 ええ。さまざまな人が「焼き肉が苦手」という話をしていますが、きっと“その話を最初にした人”がいるのだと思います。この手のエピソードは広まるにつれて、“最初の人”が言いたかった趣旨からズレていったように思います。

 私などは、他人と一緒に焼き肉をして、網上の肉をあちこちに動かされたりね。焼けたときの見た目は肉の種類によって違いますから、牛、豚、鶏肉をゴチャゴチャに混ぜられたりすると、どれが食べ頃なのか把握しにくくなってしまうよね、ということを言いたかったですね。

 ですが、このエピソードは都市伝説のように変な広まり方をして、「色弱だから肉の焼け具合がよく分からない」といわれるケースが出てきました。それで、やる前から苦手意識を抱いてしまって、焼き肉を諦めてしまう色弱者もいるんですよ。

―― 「他の人に肉をアレコレされた場合」という条件が抜けてしまったわけですね

 「花見に行くと、桜のピンク色が分からなくて悲しい」という話もよく聞くのですが、“都市伝説化”する前は冗談のようなものだったのではないか、と思っています。色弱であっても、花見は楽しめると思うんですよね。桜の華やかさは分かりますし、暖かくて気持ちがいいし、ドンチャン騒ぎだし。

「○○色が見えない/分からない」とはどういうことか

―― 色の見え方は個人の感覚で、他の人からは捉えがたいもの。「色弱で○○色が見えない/見えにくい」というのはどう理解すればいいのでしょうか

 その言い方は曖昧なので、「その色の部分だけ透明や白色に見えるのか」というような疑問が湧いてしまうかもしれませんね。“色の距離”という言葉を使って説明してみましょう。

 例えば、白色と黒色とは対照的な色で、色の距離的に言うと「遠い色」ということになります。反対に、赤色とオレンジ色は似ているので「近い色」といえます。

 では、赤色と黒色はどうでしょうか。一般的には遠い色とされていますが、色の感じ方には個人差があります。つまり、色の距離は誰にとっても同じというわけではありません。例えば、「赤色が見えない」という人の場合、「黒色・赤色」の距離が「黒色・こげ茶色」くらいになっていて、近い色に見えたりするんですね。

―― 「見えない」というよりは、「他の色と似て見える」という感じでしょうか

 そうですね。ただし、識別しにくい色やその識別しにくさは人によって違うので、先の「赤色・黒色」はあくまでも一例です。CUDOでは、色弱を「P型(強/弱)」「D型(強/弱)」「T型」「A型」と分類しているのですが、タイプが異なる人同士では色の見え方がかなり違いますよ。

“色覚検査攻略マニュアル”が存在した理由

―― 色弱という視覚の特性は、これまでどのように捉えられてきたのでしょうか

 「色の見え方が他の人と違う」という事例が論文化されたのは、今から約200年前。18世紀末に、英国のジョン・ダルトンという色弱の科学者が、自身の体験談などを発表しています。

 そして、約150年前、ある鉄道事故がきっかけの1つになり、色弱が社会的な問題として扱われる流れが生まれました。

 かつてヨーロッパには「白色・赤色」を使った鉄道の信号機がありました。照明自体は白色で、そこに、赤いガラスを入れたり外したりして切り替える仕組みです。ですが、この手法だとガラスが割れたとき、白色しか出せなくなるんですね。

 これは危険だということで、「赤色・緑色(ガラスが割れると白色が出る)」の組み合わせが使われるようになりました。その信号機を使った線路で鉄道事故が発生したとき、「運転手が色弱だと信号機の色が見分けられない。運転させてはいけない」という風潮になり、検査の結果、色弱と判断された運転手たちが解雇されたそうです。

―― 「色弱でも見やすいように、信号の色を変える」という方向には向かわなかったのでしょうか

 「『色弱者には見にくい色の組み合わせなのではないか』という指摘はあったが、受け止められなかった」とか「技術的な問題から、色変更が難しかった」とか諸説聞いたことがありますが、確かなことは分かりません。とにもかくにも信号機ではなく、運転手という集団に手を加える形で事故防止を図ったわけです。

 近年の資料を見ても、色弱が「先天性の病気」とされていることがあります。例えば、1998年ごろまで日本には“色弱の治療”を行うグループがあったんですよ。

―― どんな“治療”を行うのでしょうか

 頭に電極をつないだ状態で、「石原色覚検査表(略称:石原表)」を数時間かけて見せたりするんですね。すると、色弱では分からないように描かれている数字が見えるようになる……とうたっていました。

 このグループを担ぎ上げて本を出す新聞社、製品を作るメーカーなんかもあって。子どもの色弱を治そうと、高額な費用を支払う親御さんも多かったようです。

―― 頭に電極をつないでも、網膜の視細胞には影響しなさそうですが……

 ええ、まがい治療だったと結論が出ています。でも、不思議なことに「これで治った」という人もいるんですよ。

―― 効かないはずのものが効いた、と

 これには、ちゃんと理由があります。

 石原表は大正5(1916)年に開発されたのですが、その翌年には、答えを丸暗記するための資料が闇で出回っています。いくつか収集しているのですが、図の模様の一部と答えるべき数字の組み合わせを覚えるコツが書かれていたり。つまり、数字が見えなくても、“正常”と判断される解答ができるようになっているんです。

 まあ、色弱の場合でも目を凝らすと正しい数字が見えてしまうことがあるのですが、仮に全ての検査表を暗記するとして、全部で38パターン。覚えきれない数ではありません。色弱者に対する入学、就職制限が強かった時代には、そうやって検査を突破する人がいたのです。

 先の“治療”の話に戻りましょう。頭の電極はさておいて、たっぷり時間をかけて石原表を見ることになりますから、それで暗記できたようです。

―― 「色覚は変わらないけど、色覚検査の結果は良くなる」というわけですか

 色覚検査にはいくつも種類があるのですが、ほとんどの場合は「まず石原表で調べる → 異常と判断された場合は、別の検査を行う」という流れで行われます。また、問題なしとされた人物が繰り返し検査されることは、あまりありません。

 要は「石原表を一度クリアしてしまえば、差別的に扱われない。そうすれば、やりたい仕事や勉強ができる」という社会の仕組みがあったので、本当は効かない“治療”にも需要があったんです。

 だから、「あの“治療”で色弱が治った」という人に「本当に治ったのか確かめさせてください」というと断られますね。もう色弱ではないということにして、自分の人生を構築してしまうのでしょう。

 

人間がデザインに合わせるべきか、デザインを人間に合わせるべきか

―― 現在でも色弱だと就けない職業などはあるのでしょうか

 進学、就職制限は減っていますが、以下のような仕事では制限を受けることがあります。

・航空機のパイロット
・鉄道の運転手
自衛官
・警察官
・消防士

※職種、組織などによって制限を受けない場合も

 それぞれに「一般的な色覚がなければならない」とする理由があるわけですが、私は「どこまで本当なのか」と疑問視しているところがあります。

 警察官の場合、「色弱だと、犯人の服装の色が覚えられない」といわれることがあります。でも、色の見え方は、光の当たり方のような外的要因によっても変わるものです。以前、「人によって違う色に見えるドレス」なんてのが話題になりましたよね。

 色彩研究をされている先生に尋ねたことがあるのですが、一般色覚者でも服の色を正確に覚えるのは難しい、ということでした。「目に見える」という言葉は「確実な事柄」の代名詞のように使われることがありますが、目は案外いい加減なものだと思います。

 航空機のパイロットなどでは「複数の色を使った信号が見分けられない」とされることがあります。でも、海外では身体要件が違って色弱でもライセンスが取得できたりするんですよね。

 また、同じように信号を使う乗り物として自動車がありますが、こちらの免許は色弱でもほとんどの場合、取得できます。自動車用信号機では、「青」に色弱者でも見分けやすいシグナルグリーンを使うなどの工夫がされているんですよね。

 「色弱だから○○できない」という主張は、「石原表を使って検査すると、色覚は正常/異常に二分される」「世の中にあるデザインを変えるのは難しい」といった前提に基づいたもの。実際には、色の見え方は人それぞれですし、カラーユニバーサルデザインの普及により、現在では色弱があっても見分けやすいデザインが広まっています。

 「人間をデザインに合わせる」のではなく、「デザインを人間に合わせて、より多くの人が利用できるようにする」ことができないのか、という問いかけを忘れないでほしいと思っています。